人間、やっぱり誰か親しい存在は必要。親しい仲でなくとも、日のうちの一言二言程度の雑談でも重要だし、実際に会わずとも、日頃チャットツールでやり取りしたりする仲がいれば少し気が晴れていく。理想は、頻繁でなくともたまに実際に会う仲で、チャットなどでは都合の良い時にやり取りできる関係性が望ましい。
人付き合いがうまいというのは、人を許せるということだ。
2024年、始まってまだ間もないですが、『本当にこれ』of the yearが決定しました↓ pic.twitter.com/lC9rWyTHvj
— ミツ@仕事×恋愛 (@mitsu20190908) 2024年1月22日
友達とどこかに行って遊びに行くにも、結局は飲みの席で面白い話が出来ればすべて済む話だし、遊園地やら旅行やらに行けども結局楽しさの肝は会話にある。であれば少し騒がしいくらいのところで駄弁ることが出来れば究極楽しいのである。ただ、遊びに行くという行為自体、誰かと一緒でなければ成し得ないことでもあるので、それを行うだけでも達成感は得られるのだろう。
サシで遊ぶ場合。2人でいるのは焦点が自分に合うのでお互いを見やすい一方、相手にどう思われているかや単に間を持たすのが難しくて気まずくなることも多い。複数人でいる場合は誰かが何かに反応してそれに呼応してまた誰かが、という繰り返しで間が持つのと、枯れ木も山の賑わいで気分的にも盛り上がりが増すのだ。最悪なのはその集団の中で2組ができ、そこだけで盛り上がってしまい場が冷え上がるという事態が起こることである。
社会参画の重要性
「人望」と「コミュ力」が低いからと大学の時に資格試験に走ったんだけど、資格取得して仕事しても結局その道で大成するのに必要なのは「人望」と「コミュ力」なんだよな。陰キャは永遠に陽キャ(似非陽キャではなく真正陽キャのこと)には勝てないと思っている
— 野瀬大樹 (@hirokinose) 2023年2月19日
一番「潰しが効く」スキルがなにかって言ったら、そりゃあお前「マトモに会社員やれるコミュニケーション能力と、必要最低限の日本語の読み書き」だよ。
— える.GPT 無課金ついったらー (@ellnore_pad_267) 2023年4月2日
なんだ?開発言語とかフレームワークとか言ってる奴ら、温い温い。認識が温すぎる。
定期的に声に出して読みたい。 pic.twitter.com/kA1LGGQFhL
— 男性会社員Aさん@婚活垢 (@konkatsu3210) 2021年12月30日
研究者のジリアン・サンドストロームとエリザベス・ダンがパンデミックの前に行った調査では、参加者にふだんの1日の中で見知らぬ人や知り合いと交流する頻度を尋ねた。すると平均的な人は、軽い雑談や偶然の出会いなど、近しい仲ではない11~16人と交流していることがわかった。そして、こうした見知らぬ人や知り合いとの交流が私たちをより幸せにし、帰属意識を高めることが明らかになった。
今これ pic.twitter.com/tRJSM2pV9f
— さっちゃん (@TURTLEISLAND30) 2024年2月21日
昔、会社の重役の方から「俺の若い頃に似ている」と言われたことがある。その人の若手時代は仕事をただ熟すだけで、人とは最低限のコミュニケーションだけだったそうだ。転機は海外派遣で、仕事をするにも言語がまず通じない環境だし、意思疎通を図らないと仕事が進まないという状況に陥った際に、現地の日本人やらにとにかく話しまくってから人が変わったそうだ。今がダメでも、時間が経てば「昔そんなだったなんて見えない」と言うような人に変わることは可能なのだろう。
このホストの講習めちゃくちゃ為になるな pic.twitter.com/bYVG9BDdwR
— ポイズンちゃん (@poisoncookie00) 2024年1月28日
―――人とのコミュニケーション≒メンタル維持
コミュニケーションの本質を学べる pic.twitter.com/20wXpEfWrt
— オクシン (@OKU_MAYA) 2023年3月31日
当方、会社を退職してしばらくは自由の身になり、精神的にも体力的にも最高だったが、一過性のものだった。しばらくした後に、独身社会人の人間関係は8,9割会社によるものだと気付き、周囲の多くも社会で活躍していることがステータスのため、同じ土俵に立っていない後ろめたさからメンタル的にも経済的にも徐々に落ちぶれてくる。泣きっ面に蜂で、こういった時は支払いの催促や怪しいビジネス勧誘などが胸に刺さる。
突然「無職」になったことによる、社会との隔絶感はまさに絶望だった。 これはなってみないと分からないものだ。 友達と会ったり、ジムで知らない人と話したり、習い事の教室に行ったり 人と喋っていないと精神がおかしくなりそうだった。
60日間ロボットペットと交流した高齢者は楽観的になり、「目的意識」が芽生え、ときには孤独感も減るのだという。
また、年老いて会話が無くなると頭の回転や語彙力が減り、孤独で空しい存在になってしまう恐れがある。
キレる原因は何なのか。藤原さんが、まず挙げたのは、言語力の老化だ。「人は体だけでなく思考や会話する力も老化する。定年などで引退した男性は、夫婦二人暮らしか(離婚や死別による)単身生活者が多い。会話が格段に減り言語力が衰えるため、地域などで新たに人間関係を築けない。老人会の組織率が低いのは、男性のコミュニケーション力が落ちたのもあるはずです。孤立し自暴自棄になった中高年の男性が、積年のストレスを電車などで暴発させてしまうのでは」
出典:https://news.yahoo.co.jp/articles/f2b785fe727d31dbcb291861ce6f2d2d46792712
―――苦手でも人と付き合い事は自己成長、社会性を知ることを助長する
損をしない生き方は得を生みにくい
どんなに品行方正を志しても孤独では臨界点に達する。多くの人と接するということは、他人の価値観や多様性を自己と比較検討して、思考を選別して自己肯定することの一歩であり、それを繰り返すことで人生経験に深みが出る。多くの人は他人と関わるのは億劫で、分かち合う、心が通じ合うまで安心できずに互いにけん制している状態が面倒であることが多い。ひいてはそれが人間関係のトラブルに発展する。
下記の引用からは、人付き合いから逃げた故にこうなってしまったと思えるようなエピソードだ。
【ニート問題:心ある方のみお読み下さい】
若年無職の人達と数年接してきました。それで分かったことは、
ニート・ひきこもりは、メディアを賑わすような「怠け」の類では断じてありません。
彼らはややもすると、一般人よりも真面目なのです。しかし彼らの多くに共通するのは
「生活面の才能が極端にない」と言う弱点があり、その上で
「羞恥心が非常に強い、人の評価を異常に気にする、人の態度や言葉に傷つき易い」
のです。その共通性は、類似を超えて、一種の疾患や障害にさえ感じます。
それらの性格がその弱点を、人に伺い克服する機会を阻み、深い交友関係も築かせず、
結果「基礎的な生活能力・知識」に極度に欠ける事態を生んでいます。
そう言った人達に、いきなり職業斡旋だ就職案内だは全く無意味です。
彼らが真に欲しているのは、実はそれ以前の「基本の自信」なのです。
悩みに耳を傾けず無茶な要求をいきなり突きつけて、従わないと
「えり好みしている」「働く気がない」と責め立て彼らのせいにする。
そう言う場面を幾度も目にしてきました。親ですらそうなのです。
・引っ越し⇒不動産の利用・契約の仕方、敷金など
・一人暮らし⇒炊事洗濯の仕方、服を自分で買ったことがない、電気通信各種契約の仕方
・出張、遠出⇒飛行機・新幹線の乗り方、ホテルの利用の仕方、浴衣の着方
・地理、移動⇒車の知識、近所しか地理を知らない、時間通りにつけるか
・付き合い⇒幹事とは何か、店の予約の仕方、携帯・クレカの契約・利用知識、飲み会・カラオケへの恐怖
・社会人マナー⇒挨拶の仕方、上座下座、スーツ・靴のメンテ、電話の受け答え、税関係
社会常識がないことを恥入り、それを知られ軽蔑されることを
脅迫障害的に極度に恐れ、若い間に経験する機会を持てずにいたのです。
そのまま「訊かぬは一生の恥」の年齢に達し、完全に歩を進められなくなったのです。
日本人は、悩みにすら線引きをしたがり、許せる枠から外れた悩みには途端に狭量で残酷となり
ひたすら批判の手を緩めず、「甘え」と罵るだけで教えることを拒み続けます。
それを悟っている彼らが打ち明けられず成果が出ないと、それさえも彼らのせいにするのです。
絶対に嘲笑せず「生活訓練」で不安を取り除く、たったそれだけの優しさで人を救えるのに、です。
206 名前:おさかなくわえた名無しさん[sage] 投稿日:2012/04/02(月) 17:09:55.41 ID:FZmnoeUm修羅場とは違うけど仕事でニートの実態調査したんだ勿論救済なんかの目的じゃなく、ニートを対象とした商売を成功させる為の調査なんだけどね詳しくは書けないけど課金制コンテンツの関係心療内科の先生と学校の先生に協力を願って色々と調べてみたそしたら驚くべき事実でさ俺の持つニート像ってのはいくつか書くと他人とコミュニケーション取るのが苦手で内向的毎日同じ事の繰り返しが苦手で仕事に向かない我慢や辛抱が苦手自分の意見が通らないとすねてしまう金や出世に対する執着が無い楽な事しかしたくない無意味と思える行動を極端に嫌う運動が苦手勉強も苦手と、まあこんな感じのイメージ207 名前:おさかなくわえた名無しさん[sage] 投稿日:2012/04/02(月) 17:20:04.31 ID:FZmnoeUmで、実態調査を始めたら全く違う側面が見えてきてねまず大きく二極できる仕事というより働くのが嫌でしょうがない人これはまんまだけど結構な数存在するまあ裏の世界の住人になってるケースが多いね、このタイプは問題はそれ以外の普通の人達まず責任感が非常に強過ぎて疲れてしまう人知りません、分かりませんという言葉を極端に嫌い、向上心が高い反面プレッシャーに弱く自分で自分の首を絞めて、プレッシャーから夜寝れないから朝起きれないそういう負のループに陥ってしまい疲れ果てて辞めてしまう人他人の言葉を聞き入れてしまい過ぎて、バランス感覚を持てなくなってしまう人何かを切り捨てて前に進む事に非常な罪悪感を持ってしまう人流行を切り捨てて自分らしくあろうとする人同時に2つの行動をするのが苦手な人バカ正直過ぎて商売に向かない人などなど208 名前:おさかなくわえた名無しさん[sage] 投稿日:2012/04/02(月) 17:38:32.96 ID:FZmnoeUmつまり根は真面目で優し過ぎるから過酷な現実で生きていくのが難しい人が多いんだまあこういう人が多いから家庭内でニート対親や親戚といった修羅場が繰り返される訳だけどそこを理解してやらずに仕事しろ!働け!怠けるな!と言われるから家庭内でも世間でも居場所が無くなる訳だなそれも何の解決にも導かない負の連鎖みたいなもんだ例えばオンラインゲームなんかではニートとおぼしき人が異常な高スコアを叩き出す事が多いんだけどそれだけ同じ行動を繰り返すのを嫌がってない訳だし、勉強みたいに繰り返しやる事が大事な行為自体をそんなに苦にしてないんだなで、自分に折り合いを付けて勉強なり仕事を始めた人がたくさん社会復帰しているもともと努力する事を放棄してた訳じゃないんで自分が居場所を作る努力さえすれば問題なかった訳だなでもそういう折り合いを付けられない人もたくさんいる訳で、折り合いを付けても働く場所が無いといった新たな問題もあるニートを救済しようとする企業もあるにはあるんだが、それだったら真面目に働いてきて仕事を失った人に職をまず与えてやれといった批判もある難しいもんだな真面目すぎる、空気読め過ぎる、優し過ぎるこういう人は過ぎたるは及ばざるが如しみたいなもんで毒にしかなってないんだな普通の人間に出来る、真面目にやるけど息を抜いたり適当に誤魔化したりといった心のバランスが取れないんだそうだこれ読んだ人でニート絡みの修羅場を経験してる人は、そこを理解して解決方法を模索すれば何か答えが得られるかも知れんね
ちょっと前にテレビで「鬱の改善には良好な人間関係を築くことが効果的です」と言ってて、『火垂るの墓』で医者が栄養失調の節子に「滋養をつけることですな」って言い放ったシーンを思い出した。
— つかんぽ (@tsukampo) 2013年11月23日
―――複数意見が重要
コミュニケーションの醍醐味は、世の中の多くの人と関わって知識・思考の交換を行って世の中の多様性を知り、自身の考えの立ち位置を知ることである。その副産物として、一緒にいて楽しいとか、自身の立ち振る舞いの見直し、行動の改善が挙げられる。固まった考えのテリトリーに身を置いては、それを世の真理だと勘違いして視野が狭まってしまう。井の中の蛙大海を知らずで、新卒で入った会社を世の社会だと錯覚してしまうものと似ている。世界はもっと広いのだ。
801 名前:恐い[sage] 投稿日:2011/01/15(土) 13:52:28 ID:wrAEe4WS0
昔の話。
成人になってから子供並の壮絶なイジメをうけて
人が恐くなって家に引き篭ってた
これじゃいけないと思って地元の精神科に行った
「イジメ自体が私の妄想」という判断をされ
統合失調症、と診断された当然加害者は証言してくれない
小さな閉鎖空間でのイジメだったので傍証も無い
私が実際にイジメを受けてた証拠は一切無い
田舎なので近所にお医者さんはそこしかない
人がたくさん居る電車には恐怖感でとても乗れない
田舎での医師の信用は絶対で、もうどうしようもない
家族も私の事をそういう目で見出した
確かにイジメ自体が私の虚構だったら幸せかもしれない、まで考え始めてた
親がそう見るとか、そういう認識すら私の妄想の場合があるんだと思うと
すごく恐かった
訳が分からなくなって恐かった人に言ったら引かれると思い、誰にも言わずに昔の友達とは
単なる休職中のフリをしてメールのやり取りをしてた
ある日、本気で辛くなって仲の良い幼馴染に一連の話を全部話した
この幼馴染には逐一イジメの相談をしていた
すごい泣きながら話した
幼馴染は「それおかしくね!?」と言いきってくれた
幼馴染の車に乗せてもらって、都市部の病院に行ったら
前の病院は誤診で、イジメによるPTSD(心的外傷ストレス障害)だと診断された…今は良くなって半ば笑い話なんだけど、
こうやって作られた狂人もいるんだろうな…と思ったらぞっとした
―――経験が重要
周りのガチでお金持ってる家の子供、たしかに金や物質そのものはあまり与えられずに「消え物」(体験とか教育・教養)にジャブジャブお金使われてた印象あるな これらはその場では消えたように見えるが永久に残る
— pho (@ohp_pho) 2022年5月5日
―――親しい人間関係はほぼ財産
ハーバード大学の有名な長期研究をはじめとする多くの研究で、人を幸せにするのは金や名誉よりも、プライベートでの親しい人間関係であることが明らかになっている。
大人の人間関係に関する最近の研究によると、親しい友人が3~5人いるだけで、人生の満足度は最も高くなる。
複雑な人間関係
人間関係で大切な3つの"感"。 pic.twitter.com/5BkHHeyp6J
— ささひろ (@sasahiro_lif) 2023年4月6日
687 名前:おさかなくわえた名無しさん[] 投稿日:2022/11/04(金) 19:48:31.22 ID:gW/Mj3Cxコミュ力高すぎる人と一時期よく遊んでたけどどこに行っても知り合いと遭遇しまくりだった地元の町とかならまだわかるけど地元から1000kmくらい離れた町でも遭遇する一番凄かったのは2人で東京に遊びに行って渋谷か新宿を歩いていた時その人の留学先のどっかの国のバスでよく一緒になってたという世界中を旅してる欧米人の夫婦?と偶然再開したこと確率的には何億分の1なんてもんじゃなく天文学的な数字だと思うあんな人混みの中から知人を見つけられる時点でおかしい自分はすれ違う他人の顔なんて見ないし「知人かな?」と思ってもまず話しかけないこの人ならアマゾンの奥地とか北極に行っても知り合いと遭遇すると思う
エアコンは付けると寒いし消すと暑い。人間の感情、欲も同じで、ちょうど良い期間はただ1つ2に決まらず、一定に過ぎ去ってしまう。人間関係も然り。
複数の友達とつるんでる人や恋人と手を繋いで歩いている人に対する羨ましさは、厳密にはその状況下を楽しめる感性に対するもので、単に鬱陶しいからや楽しそうな人と対比される自分の惨めさだけではない別の理由があるのではと思ってしまう。
二学期がはじまるのが苦しい子どもたちへ。届け‼︎
— プルスアルハ/ぷるすあるは (@pulusualuha) 2016年8月25日
広い世界がまってるし!
狭い人間関係関係は必ず終わるから! pic.twitter.com/Vt8xwue2iO
Twitterでは沢山の格言が流れてくるけど、特に印象に残ってる物がある。「人間関係でうまく行く人は、近付きたい人にはゆっくりと近付き、離れるべき人からはサッと尾を引かずに離れる。人間関係がこじれやすい人は逆で、近付きたい人に一気に距離を詰めて、離れるべき人との関係を引きずる」
— たかみぃ@選挙行った (@takameeple) 2012年5月26日
問「いじめが起こるのを回避するには?」
— つるや@なろうにて小説執筆中 (@tyurukichi_AA) 2020年7月12日
答「人間関係を希薄にさせて仲間意識が高まらないようにしましょう」
草 pic.twitter.com/c8t1lltXbu
親しい人と話したり、楽しくなる場所に行ったり、美しいものを見るためには、それなりに手間と訓練がいる。ただそれが出来ないと、仕事が猛烈に忙しくなった時、食事も毎回一人か仕事相手と一緒で、資料や企画書ばかり目を通していると、自分がものすごくつまらない人間になった気になって、心が死ぬ。
— たられば (@tarareba722) 2016年6月8日
―――人付き合いは値踏みから始まる
必要以上にへりくだったり、無駄に腰が低い人って、往々にして謙虚というより、そういう自分に相手がどう振る舞うかを見た上で、値踏みして来たりするので、あまり気を許せない人が多いなぁ、と思う。
— すくみづ/zumix🎪 (@suku_mizumi) 2023年3月29日
人が他人として認識しているうちは相手のネガティブな面をそのまま受け取るので心証悪く映るが、お互いある程度打ち解けてきた中でそういった綻びが出てくるのはかえって面白さに変換される。一緒にいて居心地が良いと思うのは、お互い気を使い過ぎてネガティブな面を出さずにいる初対面よりは、たまに出過ぎた発言をして咎め合ったりという、お互いに隙があって相手の方も踏み込んだ言動ができる関係なのである。ただその塩梅が難しい。その関係を上手く作りやすいのが酒によって隙が生まれた状態であるからこそ、人は酒に溺れやすい。
一番信用できるのは
— soy (@nattou_muri) 2023年2月18日
「他人のバックグラウンドに興味がない人」
これ
―――「他人を変えるより自分が変わる方がラク」は大嘘
人間関係の問題を考えるときに大事なのは、「つらい」「憎い」「嫌いだ」の話と、「今起きている出来事」とは、別ものだと理解することです。
人にはそれぞれの認識・価値観を持って人と接するきらいがあるため、良かれと思って行った言動も悪い方の意図で汲み取られてしまう場合もある。ただ、その人の認識・価値観から考えれば、同じような認識を持って交流を測れる場に所属できることが一番理想なのだ。
リア充の巣窟といわれる会社に前居たんだけど所謂リア充の人は別にコミュ力が高いというよりは、世間の大多数のマジョリティの人間と同質性を共有できてる故、コミュニケーションに払うコストが低くて、コミュ力が高く見えるだけという。立場や背景の違う人と対話できる力があるかというとそうでもない
— 鬼耶高のユカリンゴ (@ucauca56) 2014年5月11日
―――程よく力を抜いて今を楽しむのが吉
まさしく、20代で努力しないと世界のエリートに一層引き離されると思い、楽しそうな同世代を横目に外コンで死に物狂いで働いてきた結果、周りが幸せな家庭を築く中、孤独に絶望する29歳になりました。。笑 https://t.co/MYonWYOlzF
— のんでぃ (@N0NDIE) 2021年1月2日
10代まで人々は表面的には平等で、20代から人生は目に見えて分岐していくので、30代にそのような孤独は当然感じるものだろう。でも40代あたりで同世代の人間の有難みがまた分かるようになる、というのものあると思う。 https://t.co/ntINbixaa2
— 坂井豊貴 (@toyotaka_sakai) 2021年1月2日
―――他人に期待せず、自分を過信せず
高倉健さんのように考えることができれば、人間関係でくよくよと悩むことなんて無くなるんじゃないかなと思う。 pic.twitter.com/GS5Hd0Qr4P
— びっとらべる (@bit_ravel) July 6, 2022
最近まわりで特にメンタルが安定していると思う人が共通してよく言う言葉が "基本、他人には期待しない"。
— 𝐲𝐮𝐤𝐢 𝐤𝐚𝐧𝐚𝐢𝐭𝐬𝐮𝐤𝐚 (@kyukirrs) August 12, 2018
一見冷たい印象だけど言ってる人はむしろ面倒見良くて慕われていることも多い
"人をどうしよう"とか"人にどうしてもらおう"という考えを捨てるだけで、人間関係の悩みの9割くらいは解消しそう
タモリさんの「他人に期待などしなければつまらないことで感情的にならずにすむ。そうすれば人間関係に波風も立たなくなり、円満に誰とでも付き合える」が好きで大切にしてる。ストレスの多くは人間関係。期待するからイライラするし、失望する。他人に期待して、命の時間のムダ使いはもうやめよう。
— たえ (@Dubai_Coach_TAE) June 19, 2022
なぜ他人を信じて動くことが重要なのかというと、本当にその人を信用・信頼できるからではなく、世の中の仕組みが他人の信用によって成り立っているからである。お世辞も心からの想いではなく、儀礼として行う茶番や作法と言った手合いであるのと同様に本音と建前をうまく使い分けて場をわきまえられるのが大人である。
人間の良心を信頼しすぎなシステム pic.twitter.com/61j2no03Td
— コロモー (@coromoo_JP) 2022年8月24日
―――中途半端な手助けは身を滅ぼす
人助けをする場合は、「人は、全く手を差し伸べない人よりも、差し伸べた手が不十分である人に対して怒りを向ける」ということはよくよく覚悟しないといけない。
— 中村剛(take-five) (@take___five) 2021年3月13日
ただ、「だから人助けなんてするな」という話ではなく、「人助けをするならそれなりの覚悟をもってやらなければならない」ということ。軽い気持ちでやると、予想外の反応にお互いが嫌な思いをしてしまうから。だから、人助けは「広く浅く」よりも「狭く深く」の方がいいと思う。
— 中村剛(take-five) (@take___five) 2021年3月13日
―――周囲の人が助けてくれるから生きていられる
兄がほぼ引きこもり化してた時期、家族でも何もできなかったけど兄の高校時代の友人が強引に連れ回してくれたおかげで無事社会復帰した。声を掛ける側も乗る側も勇気がいると思うけど、他では得難いものがあった。
―――人との関わりは総じて面倒臭い
前に読んだ人間関係の記事で感心したのは 「好き or 好きじゃない」と「対処しやすい or 対処しにくい」の組み合わせで4種類に分類してて、「こちらは苦手でも、対処しやすい人」はストレスが少ない、「逆にこっちは好きでも、対処しにくいor向こうにちょっと引かれてるみたいな場合」は非常にストレスになるので距離を置いたほうがいい、って書いてあったこと。なるほどなあ。去るものを追うのは余計状況悪化するっていうのは、今までの人生を振り返っても納得。切ないけど、そうなんよね。
―――人が離れる人
約束のすっぽかしも、他人を怒りのはけ口に使うのもそうで、要するに自分の「困り」を他人に処理させてコストを負担させてるだけなんだよ。それをやったら一方的コストを押し付けられる方は最終的には「うちはゴミ箱じゃないんで」となるわけで、だから人間関係が安定しないんでしょ。
— まくるめ (@MAMAAAAU) 2021年4月8日
人間関係リセット癖
人間関係リセット症候群、めっちゃ分かる pic.twitter.com/QWCnvF42z6
— たまくわ (@tmkwsn) 2021年12月21日
面倒になって過去の人間関係をリセットすることはそう少なくはないだろう。ただ連絡を取らなければよいだけの話で、恐れているのは繋がっていることで「裏で悪い噂されてないだろうか?」「変な誘いの連絡が来ないだろうか?」という不安だろう。要はその際に繋がっている人間関係のテリトリーに居心地の悪さを感じていて今後付き合う際のメリットが感じられないという点だろう。
ただ、断捨離は人にも適応できるとは思う。ただ、アポトーシスのように捨てて新たに人間関係を更新する必要はあるだろう。自分自身も得たものがあるだろうし、次こそはと言う意気込みで新たな出会いができるだろう。知人も「自分と合わない人が多いからこそその分いろんな人と出会うんだ」と言っていた。その通りである。
この考え方がわりかし重要 pic.twitter.com/DDsrTDvxPc
— ゆるふわ怪電波☆埼玉 (@yuruhuwa_kdenpa) 2023年3月30日
ここ数ヶ月なんとなく肌の調子が悪く、安くて手に入りやすい10年以上便利に使ってた基礎化粧品をまさかと思いながら変えてみたら即治った、人間関係でもこういうのある
— カニ (@kaaqoo) 2019年10月2日
うちのおかんも服飾関係の仕事してて実家に専門的なミシンがあるから、作ってくれ、直してくれ系のたかりしょっちゅう受けてる。
— はがん@2巻発売中 (@hagan_hosenka) 2016年10月13日
そんなおかんから貰ったありがたい言葉は
「技術を気軽にたかってくる人はお前を頼ってるんじゃなくて下に見てる証拠だから人間関係切れ」
―――そもそも関係を継続させ続けるのは難しい
学校・職場、ほとんど友達作りではこのような場が多いだろう。これ以外の自分の居場所と言えば家庭だが、それ以外にサードプレースを設けて人脈を増やしていきたいものだ。現代ではそのサードプレースにあたる多くの場所はネット上と言うことになるだろう。
他者を親密に感じるかどうかは、関係構築に必要とされる3つの要素に左右されることが明らかになっている。
・継続性(consistency):互いに経験を共有し、定期的に交流する。
・脆弱性(vulnerability):互いに理解し合っていると感じ、本当の自分をさらけ出せる。
・肯定性(positivity):ともに楽しみ、相手を受け入れ、互いに評価されていると感じることで、相手との関係によって報われていると感じる。友人が職場を去るとそれまでの関係が突然終わるのは、その継続性が、同じ場所で一緒に時間を過ごすことで報酬を得ていることに依存しているからだ。定期的な交流がなければ(継続性の欠如)、すぐに互いの状況がわからなくなったように感じ(脆弱性の欠如)、相手から評価されて一緒に楽しんでいるという感覚がなくなる(肯定性の欠如)。
引用記事では主に職場で友人関係を継続する方法が述べられている。確かに、職場で仲良くなるケースと言えば、仕事以外の話題で盛り上がり、プライベートの話からその人の個性が見えて興味が沸いてきた時だろう。その上で継続的に仲を取り持つのが上記の3要素になるのだろう。
職場を去るのがあなたでも相手でも、仕事以外で友情の土台を再構築するには、真剣な努力が必要であることを認識しなければならない。友人関係とは、相手と交互に誘い合うことを要するものではない。必要なのは、両者がポジティブかつ有意義な方法で一緒に時間を過ごすことだけだ。
私たちはあまりにも長い間、相手を誘うことと相手を思うことを同一視してきた。そのため、自分だけが相手にアプローチしていると感じると、傷つきがちになる。それよりも重要なのは、どちらが誘ったのかには関係なく、一緒に時間を過ごすことを相手も自分も楽しめるかどうかである。
今はSNSなどのツールを含めてオンライン上で簡単に連絡を取れるようになった反面、四六時中一緒にいるような落ち着かなさが常にあるようでは本末転倒。実際に会って話す場合でも、お互いの予定などを考えると、自由な時間が取りづらくなった今では学生時代と比べて難易度が高いだろう。
―――ひと手間がミソ
仕事、家族、友人、恋愛で大切な相手と良い関係を築きたいと思うなら「ひと手間を惜しまないこと」が大切。
— あまん (@buddhobhagavan) 2018年3月19日
「めんどくさいなあ」を「しゃーないやってやるか」に変えて相手のために一肌脱いであげるそのひと手間が、人間関係の質を一段階引き上げてくれます。
―――ある条件によって持続される関係
「この人はいいひとだ」みたいな感覚は失った。
— さかもとももこ (@matricalfield) 2016年5月19日
いいひとというのはいない。今目の前にいる親しいひとがどれだけ善意に満ちて親切であろうと、それはお互いの関係が良好であることのしるしでしかなく、条件が変わった時になにをみることになるのかは、その時にならなければわからない。
相対交渉
社内政治も恋愛関係も、夫婦関係もたぶんそうだけど、「外交」ってのが本当に参考になる。 自分がいちばん欲しがってるものを相手に悟られたらダメなのだ。
— PuANDA (@shoichirosm) 2023年11月23日
それを餌にコントロールされるから。
人と関わるというのは依然としてめんどくさいし、皆が自分と同じような価値観や基準で動いているわけではないので関わることでいろいろと摩耗するものが多い。相対交渉する際に価値観が合わない場合はそのまま一定の距離を保つか離れるかするが、折衝としてお互いの考え方をすり合わせる場合がある。これによって新たな発見や見方が伺えて面白いと捉えられる場合もあれば、共感して話が盛り上がる場合もある。率直にコスパが悪いのである。
―――実際に顔を合わせる重要性
リモートの懸念点として、コロナ禍に就活を行い、オンライン面接を実施した就活生に話を聞いたことがある。オンラインでは話すタイミングが難しく、こちらの話したいことを上手く話しづらいというようなことを言われた。それと反して、巷では対面面接よりも質問の数が増えたなど、気軽に話し合いができるといった声も挙がっている。
顔を合わせなければ、友人や家族に対する愛情は急速に低下する。2カ月間会わないと友人や家族との親密度は30%以上も低くなり、その後によそよそしくなる。そして、5カ月後には友人間の親密度は80%も落ち込む
―――疎遠になる関係
日本人のおよそ14~17%が自分の交友関係について「友人や同僚など、他の人たちとほとんど時間を過ごさない」と答えているのこと。日本の割合は21カ国平均の3倍近く、トップクラスの数値となっています。
前職の職場で上司から、転職時のアドバイスとして「場所を移ればそれまでの関係はリセットではなく、数珠つなぎに広げていくものだ」との旨を頂いたことがある。しかし、自分と合わない関係ばかりを無理に続けていてもかえって孤独に感じるのは事実。己が素直に振舞って、それを受け入れてくれる場所をどんどん増やしていくというのが正解だろう。
同級生って言うのは 電車に乗った時に 一緒に乗ってた乗客みたいなもんで 目的地に着いて下りれば また他人みたいなもの
人付き合いには、刺激の賞味期限みたいなものがある。仕事や人間関係、触れる情報によって、誰しも人生のステージは変わっていく。その間に友人や趣味仲間の、刺激の賞味期限はすり減って、話が合わなくなっていくのは、ごく普通の現象だ。
時間が経てば、遊ぶ場所が変わり、食事をする場所も変わり、価値観も大きく変わっていくものだ。
通常の状況では、ネットワークはただ縮小するのではなく変化する。引っ越しや転職、子どもの誕生などに伴って徐々に友人が減るのではなく、失った友人の代わりに新しい人間関係を築いていくのだ。
自信が持てない
コミュ障こじらせすぎて、せっかく人と仲良くなれても、こう思って距離をとってしまう自分を辞めたい、、 pic.twitter.com/Tty7zmz88j
— なおにゃん🌼 (@naonyan_naonyan) 2022年9月28日
男子学生「知らない相手にSNSでどこまで自分を出していいか分からない」。分かる。 pic.twitter.com/9RUG0tuKBg
— これでも大学職員 (@koredemo) 2020年7月18日
自分に自信がないので「私は親しいとおもっているが、相手からしたら友達と呼ぶよりも知り合いという範疇ではないだろうか 私よりも親しい人が数え切れぬほどいるだろうし私が友達と言って迷惑なのでは」という想いが積もり積もって拗らせると「友達いない」というシンプルな発言になります
— かづきくん (@kaduki_kun_san) 2016年9月30日
誰かに嫌われるかもしれないという恐れは間違いだ。
そもそもの話、語弊があるかもしれないが、極端に言って自分は嫌われていないという前提で人と接するのは傲慢だ。絶対誰かには必ず嫌われるもので嫌われない努力程不毛なものはない。
ただし、人を信用できるのだという自分に対しては自信を持って行動するべきだ。生きていく以上、人との関わりは物凄く大事なのだ。どんなに意地を張っていても、結局そんな自分も他人に認められてそこにいる存在。互いに認め合うべきで、争うべきでない敵であり、協力者あるいはパートナーなのだ。
一生これ pic.twitter.com/9OR6q3L7wi
— ラル (@toumei7usagi) May 11, 2022
自分は友達だと思ってても、相手が友達だと思ってる保証はどこにも無いので、「クラスメイト」や「知り合い」みたいな言葉で濁しちゃうこの気持ちを誰か分かってほしい。
— みずきゅん🗼 (@TOKYOSYOKISYODO) 2019年5月16日
コミュ障が友達を"自分から誘えない理由”は、友達にとっての自分は、友人関係の一角にしか過ぎず、自分なんかが友達を遊びに誘うと迷惑なのではと感じてしまい、どうしても遊びに誘えないんだよな。 pic.twitter.com/mVNZWRJgJx
— 朝倉日記 (@Asakuranikki) 2020年6月22日
自己肯定感が低いが故に友人を遊びに誘うことが出来なくて、友人から遊びに誘われると即答で"OK"と言うが、時間経過とともに『遊んだ時に何話そう』『つまんないと思われたらどうしよう』などの不安になってきて、遊びの前日は憂鬱すぎて遊びたくなくなるんだよな。そして遊び始めたら普通に楽しい。
— 朝倉日記 (@Asakuranikki) 2020年6月24日
自ら好んで孤独になるケースの多くには、他人と関わることで自分の扱われ方がわかり、伴って傷付きたくないという保身に走るからだろう。
例えば「仲が良い人同士で班を作りなさい」と言われた時に、自分は選ばれないわけですよ。僕は友達だと思っていたけど、人数制限がかかるとそこに入れないことが明確になる。それってすごい屈辱的だし、ショックなことですよね。でも、逆に考えると勝手にこっちが友達だと思って期待していたから凹むということでもある。だったら最初から友達に過剰な期待はせず、1人でいる方がいい。いつしか、そう考えるようになり、「人間関係って面倒くさい」に行き着いたんでしょうね。
他人の意見を受け入れず、自分の自己像を守る。と書くと語弊があるが、こうすることによって自他共に幸福でいられるという考えだ。
やはり他人の思う人物像と自己像は乖離があり、他人の意見に従うと自己を見失い、今までを良しとして付いてきた来た人の信頼を損ねることにもつながる。取りこぼしなく八方美人になってもそれをやっかむ人もいるだろう。結局、自分を偽らずに振舞い、相手が自分に求めるイメージ像という不明瞭な指針を過度に意識し過ぎてしまうと、自他共に破滅する場合がある。
「人から好かれようが嫌われようがどちらでも構わない」
そういう覚悟を持つと心が自由になります。人それぞれ育った環境が違うし、考え方や価値観も違う。すべての人に好かれるなんてしょせん無理なこと。そう思えるようになると人の本音を聞くことができるし、自分の本音を言うことができるようになります。
自分の本音を言ったら人間関係がうまくいかなくなってしまうのでは、と心配になる方もいるかもしれません。ですが、結果的に自分にとって望ましい人間関係を築けるようになり、自分の成長を妨げるかもしれない人間関係を手放せるようになります。そして、そのときに大切なことは、仲間がいなくなることを必要以上に恐れないこと。
成功している方々が「人に好かれようとしない」のは、人に好かれようとしないことで、人付き合いがスムーズになるということをご存じだからだと思います。無理をせず、自分らしく付き合える人間関係を築く方法を実践されています。
出典:「人から嫌われても」全く気にしない人の共通点(東洋経済オンライン) - Yahoo!ニュース
―――どこにも嫌な奴はいる
あのねぇ、よく「何処にも嫌な奴はいるんだ。人間関係で辞めたって次のところにも嫌な奴がいる。お前はそうやって生きていくのか」とまだ見ぬ次のステージに向かう最中に不安を煽る系のこと言う人いるでしょ。真に受けてしまう君に模範解答を伝授します 「ホントだ!此処にも居た!」(鼻に頭突き)
— 柔らか仕上げのフクダウニー (@0rororeo) 2015年4月30日
―――自身を集団の中に身を置くことはある種、シェルターの中あるいはライオンの折の中に幽閉されることと同一
「人は、仲間はずれにされている、あるいは嫌われていると思いたがらない。仲間はずれにされている、あるいは嫌われていると感じると、脳は自分の安全が脅かされていると判断し、ストレス反応を引き起こす。それは、悲しみ、怒り、妬みなどの感情として表出する。世間話にしろ噂話にしろ、自分自身もそこに加わっている限り、不安やストレスは感じない。もちろん、自分が噂話の的にされれば、精神衛生上、よくない影響があるかもしれない」
―――相手からどう思われているかを気にし過ぎる
あなたは他人の視線が、たえず気になる方のようですね。自分がどう見られているか、無関心でいられない。いい人に思われたい、と願っている。 だから、人の挙動が、いちいち意味ありげに見えてしまう。早い話、あなたがそういう気持ちで人を見るから、相手が警戒するのではないでしょうか。 あなたは人付き合いが下手、とおっしゃいますが、上手下手に分けて考えるから、悩むのです。何事も評価にとらわれてしまうのです。好きだ嫌いだと、感情を二元化すると、相手もそういう見方で自分に接している、と思えてくるものです。人間の付き合いは、あくまでこちらの心の持ちようです。 あなたが経験なさったように、あまり相手の領域に踏み込むと、双方が傷つく羽目になる。つかず離れず。これが付き合いのコツです。 人の表情の意味を、むやみに探ろうとしない。あなたが当たり前に話しかけたり接したりすれば、友人もきっと当たり前に応じてくれるはずです。 (出久根 達郎・作 家) (2012年4月16日 読売新聞)
出典:https://www.yomiuri.co.jp/jinsei/shinshin/20120416-OYT8T00146.htm?from=navr
―――大勢でいるのは実際大変
ひとりが好きな人の特徴は多分これ。
— ヒロ (@HESYOUDESU) 2022年6月30日
・気遣い精神
・ひとり時間が休息
・興味がないことは超無関心
・任意参加は基本的に行かない
・マンツーマンだとわりと得意
・逆に気遣われ過ぎるのも苦手
・大人数で長時間いると息が詰まる
・物事を慎重に考える時と適当時の差が激しい
だいたい合ってます?
―――新たに挑戦した先にある失敗に憂うが、宝くじは外れても当然と思い込んでいる矛盾
「自信が持てません」というのは、どうも「自分が傷つかないようにするにはどうしたらいいですか」という悩みにも思えます。
出典:ヤマザキマリ「とらわれない生き方 悩める日本女性のための人生指南書 (―)」
友達
スナフキンにこんな事言われる pic.twitter.com/MhcrmMZaXR
— #日和坂アート研究舎 #パルコキノシタ #🇺🇦 #石巻 (@paruchin) 2015年4月26日
友だちの定義ってよくわからないけど、「自分の世界に招き入れても痛くない存在」であることは確かなんだよな
— 秋月 羽 (@akizuki_hane_) 2022年5月21日
フォロワーさん
— ねこかじる (@nekokajikaji) 2021年5月16日
30、30歳という歳くらいになるとな
比較的まともな知人友人はどんどん結婚して家庭を大事にしてかまってくれなくなるし
比較的やべー知人友人はマルチやFXで人生一発逆転しようと必死になる奴もででくるし
気軽に遊べる友達がどんどん減っていくんじゃよ…おそろしいね
10代の頃は友達と話すだけで面白くて息が出来なくなるくらい笑って廊下に倒れ込んだりしてたけど、それくらい笑ったことここ最近全然ないしあの頃一緒にめちゃくちゃ笑ってた友達も今はもうどこで何をしてるかもほとんど知らないんだよなぁ…って少し寂しくなった(なんだか心が弱っている
— 盆地さん (@bon_chi33) 2021年10月17日
―――一生来の大切な人
ハーバード大学が75年にわたり研究し続けている「人は何が幸せか」について。金・富・健康ではなく、「同じ志をもつコミュニティで頼り頼られ生きること」と結論づけた。 pic.twitter.com/vEvDDumU5q
— 坂井勇貴(SAIHATE) (@yuuki_saihate) 2022年7月7日
大人になってからの友達に求めることって、趣味が同じとか、価値観が似てるとかいろいろありますが、「美味しいごはんを食べられる」が一番だと思います。一緒に食事をしてみて、互いの間合いや気の使い方が合うと、本当に気楽に過ごせます。ただ、そんな人は稀なので、見つけたら大切にしてください。
— わび (@Japanese_hare) 2022年6月23日
「あなたが困ったとき、助けてくれる親戚や友人はいますか?」。この質問に対して「はい」と答えられるなら、その人のウェルビーイングは高い傾向にある。当たり前だが、調子がよいときは自然と人が近寄ってくるものだ。しかし苦境に陥った途端、人はサーッといなくなる。そのため昔から、最良の友人は苦しいときに友を見捨てない人であると言われるが、まさにそのことを示している。ちなみにそのような友をもつことは、収入が5倍になるのと同等の影響力があるという。
―――友達・親しい関係とは?
4コマ「別に喋らなくても大丈夫な友達」 pic.twitter.com/DhTbciO2ZA
— 風見2 (@_Kazami__) 2018年9月1日
友達と言うのは趣味や娯楽のような、人生の中で彩や豊かさを与えるもので、なくても生きていくことは可能だ。ただ衣食住だけの生活では面白くない。酒や煙草は害のある嗜好品とされるが、そういった娯楽があるから短期のスパンで見ると1日1日を永らえるというメリットがある。無駄と言ってしまえばそれまでだが、そういった無駄が人生を豊かにするエッセンスであり、衣食住の最低限は人生の基礎である。人生において無駄こそ志向であるのだ。
この世、とりあえず、
— ひらりさ (@sarirahira) 2019年4月4日
・一緒に映画観て、程よく感想言い合える人
・突然誘っても気を悪くしない人
・へちょへちょになったときに声を掛け合える人
・死ぬほどどうでもいい話をしても気にしないで聞き流してくれる人
・遅刻したら適当に時間潰しといてくれる人
がとても貴重
本当の友達ってのは、あまり一緒にいない方が良いですね。
— ますく😷CGのお悩み解決 (@mask_3dcg) 2019年9月23日
それぞれが別の人脈やスキルを持っていれば、より大きなことを成せるし、たまに再開した時に得られるものも多い。
天道さん曰く、同じ道を進むのが仲間、別の道を行くのが友達らしいです。
―――沈黙を許容できる関係こそ信頼のおける関係
沈黙を気まずいと感じる心理の中には、相手に思考の余地を与えるからである。その間に「つまらない人」などといったネガティブな印象を与えていないかと自分が不安になるのだ。そこでその沈黙を打破すべく会話をひっきりなしに続ける場合がある。故に沈黙は単なる無ではなく、お互いの思考が存在していて常にそれは動き続けている。それをお互いが不安に思わずに沈黙でいられるというのはお互いの関係性に信頼があり、心を委ねている証とも言えるだろう。
友達と「会話をしたい」という気は一切起きなかった。こういう時代なので、友達と連絡が取りたい、話がしたいと思えばすぐにチャットでもZoomでもできるのに、自分からそういったコンタクトをすることは結局一度もなかった。
私の友達はみんな人生も思考も充実していて会えば当然話は弾むのだが、それを主目的としてわざわざ会っていたのではないことを認識させられた。むしろ会うことそれ自体が目的であり、時間を埋めるための一手段として会話をしているだけなんだと。
友情の深まりを感じる瞬間として、お互い沈黙して何もしない時間を心地よいと感じられるかというのがある。話をしはじめたらめちゃくちゃ面白い二人が、わざわざ都合をつけて会って、お互いを独り占めしながら、黙って、何もせず、何も生み出さず、ただ座っている。これ以上贅沢な時間の使い方があるだろうか。
先月初めてバンコクに行ったとき、ワット・アルンに向かうがらがらの船の上で、友達と一列ずつ席を陣取って前後に座り、顔を合わせるわけでもなく、言葉を交わすわけでもなく、日が傾きかけたチャオプラヤ川を静かに渡りながら、そんなことを考えていた。
今のChatGPTには無理でも、人間より面白い会話のできるAIはそのうちいつか現れてしまうのかもしれない。ただ、友達に与えられる最大の価値が「沈黙」なのだとしたら、AIにその座を奪われることはない気がする。
輪を広げるために
胸が痛い pic.twitter.com/6vF8xidzb7
— ヨッピー (@yoppymodel) 2022年6月7日
―――遠慮も無礼
自分が相手に負荷をかけると思って、相手がご厚意で差し伸べた手を振り払う行為はかえって無礼なのだ。結局その考え方は、相手の意に沿った考慮ではなく、自身に借りができてしまうという負い目・引け目である。何はともあれ変に斜に構えず、素直にアクションを取る体で体裁を整えていくのが一番良いだろう。自身がカッコよく映るより、相手が居心地が良い感じを考慮しながら付き合うのがベストだ。
シマジ 人間関係を築くうえで一番いけないのは遠慮だ。「好きだ」「尊敬している」「愛している」という対象には絶対に遠慮しちゃいけな い。恋愛と一緒だよ。 女性が7~8歳年上の男性に恋をするなんて普通だよな。彼女たちは、かなり年上の男性に対しても臆しなどせず、対等に付きあっている。それを思えば、男 同士で10や20の年齢差を気にする必要なんかまるでない。あの大先輩と少しでもお近づきになれればなんて考えるのではなく、この人と親友になりたいとい う気持ちで胸襟を開いて話をすればいいんだ。 「あなたのことを尊敬している。もっと知りたい」という気持ちを抱いて秋波を送れば、ほとんどの人は、「かわいい奴だ」と目にかけてくれる。いわゆる偉 い人ほど孤独なものでね。「自分なんかではこの人と釣り合いが取れないのでは」と恐縮してしまう人が多いから、そんな中で、遠慮なしに胸に飛び込んでくる 若い奴というのはどうしたってかわいく映る。「ジジイ殺し」と言われる連中は、この遠慮なく飛び込むというのを本能的に実践しているんだな。
―――「親しき中にも礼儀あり」が大事
「この人といて居心地いいな」と感じるのは、単に"気が合う"とかだけじゃなくて、言わなくていい事をわざわざ言わなかったり、トゲトゲした言葉は使わなかったり、ありがとうごめんねをちゃんと言っていたり。その人が居心地いい雰囲気を作ってくれてることも忘れないでいたい。
— 汐 (@_s0_rlll) 2022年1月11日
―――似たもの同士
人としゃべれないくらい人付き合いが苦手だった方が、人と接するのが苦手な農家さんのところに就職して、うまくいったケースがあります。農家さんからすると、おしゃべりが苦手同士で楽なのだそうです。苦手同士、あうんの呼吸が通じると言っていました(笑)
ほかには牛舎で働き始めた方もいます。その方は人の気持ちに対する感受性が強いのですが、そのためほかの人では気づかないような牛の不調に気づくことができるそうです。
―――趣味を一生懸命やると人が集まる
よく趣味を熱心にやると興味を持った人が周囲に集まってくるということを聞くが、世の中は二極化にあぶれるほど多様な考えを持った人で溢れているので、特殊なことをしている人と言うのは近寄りがたい・親しみがない反面「面白そう」といった興味を持った物好きが多少はいるものだ。
「自分の趣味」と思っていたことは、全て仲間に入れてもらうためにやっていた「空気を読んだつもりが完成度の低い接待プレイ」だったことに、コロナを理由に距離を置かれてはっきり気づいた。
— 上石原 浩一 (@kamiishiwara) 2022年2月21日
人に興味を持たれたくてやっていた「只の暇つぶし」で、本心じゃなかったんだ。情熱が低いから何をやっても完成度が低くて賑やかし要員以上になれないんだ、そんな気がしてきた。
— 上石原 浩一 (@kamiishiwara) 2022年2月21日
―――複数人で会話する際のチップス
中学生の時に珍しく父親に叱られた。部活の友達二人を家に呼んでリビングでゲームをしていた。友達が帰った後に、父親が真剣な顔で『三人で遊んでいるのに、二人にしか分からない話はしてはいけないよ』と言われてはっとした。大人になった今も密かに気を付けている。
— わかめ (@senseiwakame) 2022年6月25日
これはママ友間でも、凄く気をつけていること。
— リーフィア3321 (@laceflower27) 2022年6月25日
あとから合流してきた人には、今の話を解説して、話に加わりやすいようにしている。 https://t.co/9DZVFmtKNm
―――人付き合いの重要項
下記のリンク先にもあるが、重要なのは甘えること。そして甘えてもらうこととある。これは昔上司に言われたことでもある。甘えることを知らなければ貪欲に情報を吸収することもできず、助けて貰って作業を効率的に進めることもできなくなり孤独になってしまう。そのような経験を積んでこそ甘えてもらえるような人間に成長することができるのだ。他人は自分では見られない自分の全体像を部分的に映してくれる存在だ。
―――人脈を広げ行くことの重要性
特定の誰かに支配されないコツは、同時に三人ぐらいに支配されておくことです。柔和な者は地を引き継ぐ、いちばん好きな言葉です
— まくるめ (@MAMAAAAU) 2018年3月30日
この戦略をわたしは個人的に「シンガポール」と呼んでいます
— まくるめ (@MAMAAAAU) 2018年3月30日
具体的に実例を紹介すると、Aさんから100万円借りているとAさんの態度は厳しくなりますが、BさんとCさんからさらに100万円づつ借りるとAさんはむしろ優しくなるということです。理由はみんな自分の金を優先的に返して欲しいからです。ゲーム理論の応用ですね。まあ僕はやりませんけどね
— まくるめ (@MAMAAAAU) 2018年3月30日
居場所・サードプレイス
動物のお医者さんについて、「"変わり者"にも居場所があるのが高偏差値の世界」という旨のツイート群を見かけて、あーあーあーとなっている。
— ジロウ (@jiro6663) 2020年5月4日
サードプレイス【third place】生活を営む場としての自宅(ファーストプレイス)、経済活動や学習を行なう職場や学校(セカンドプレイス)とは異なる、第三の居心地のよい居場所のこと。例として、カフェ、パブ、居酒屋、本屋、図書館、公園など。
— 単語はかせBot (@BotHakase) 2021年9月15日
―――居場所があることで自己を肯定できる
「今の日本では、会社や学校という箱を離れたら、
個人として再び社会に居場所を切り拓くことが
難しい。」なにか特別の事件が起きたわけではなく、
ちょっとしたきっかけから、本人の能力や人間性に問題があるわけではなく、
むしろ、まじめに順調な人生を歩んできた人が、自分と等身大の人間が、
ある日、社会的居場所を失い、
孤立してしまう。私たちは所属することで居場所を得てきた。
小学校、中学校、高校、大学、会社‥‥と、
箱が社会とつながっており、入口で試験を受けて合格して、
箱に入りさえすれば自動的に、
社会的な居場所が与えられる。ただしこれは、
自分で一から築いた居場所
というわけではないので、箱を離れるときに自動的に失ってしまう
ことも少なくない。
―――居場所があることで今まで"友達"がいたと錯覚する
「友達がいなくなった」というのは、元は「友達がいた」という前提です。しかし、こうした質問をされる方は大抵「そもそも友達なんて元からいなかったのに、それに気づいていない」場合が多いのです。
「会社以外に居場所がなかったことに気付いて後悔する」というのが定年後の後悔で最も多くを占めるらしいが、会社員であっても、趣味増やすとか副業するとかいくらでもやれることはあったはず。その後悔は、「会社員の末路」ではなく、「会社員であることを言い訳にしてきた人間の末路」だ。
— やまもとりゅうけん|人生逃げ切りサロン (@ryukke) 2016年6月8日
―――他者との交流は感性を育む
いつ(3)居場所をすでに手に入れている人は、手に入れていない人に対しての感性が低い。自分自身が居場所を失ったり、あるいは居場所を持つことと持たないことの狭間にいなければ、居場所をつくり、共有することがいかに大切かとわからないのかもしれない。だから、家入さんの言葉は大切だ。
— 茂木健一郎 (@kenichiromogi) 2014年1月22日
―――居場所がない
49: 風吹けば名無し@\(^o^)/ 2016/11/12(土) 08:23:45.44 ID:cXd/fXlU0
登山好きの人に
「おじさんになるとどうして登山を好きになるんでしょうか?
山にはどんな魅力があるんですか?」と気軽に聞いてみたら、
「山に何かがあるんじゃなくて、家に何もないんだ。家に居場所がないんだよ」
と予想外に重い答えが返ってきた。
仕事帰りと思われる、駅のホームで缶ビールを飲むおじさん。前まで「家で飲めよ…」と思っていたが、自分が一度体験してみると、あれは「仕事と家族から解放された自分だけの時間」を楽しんでいるんだと気付いてしまった。数分ごとに目の前に電車が通り、それをぼうっと眺める。至福の時間だったのだ
— あさぎり (@asagili) 2019年6月24日
―――「察する」ことがコミュニケーションとなり、不機嫌を増幅する環境は居た堪れない環境となる
つまり、「察してもらう」ことで楽をしていた分のコミュニケーションコストって、丸々相手の心理的安全性を食いつぶす形でまかなっていた、ってことだったんですよね。安心できる筈の場所が、「察する」為にコストを割いた結果、安心できる場所ではなくなってしまった。
―――地域でも結構交流の場はある
こんなこと書いてますけど今高齢独身男性相手のおしゃべり会みたいな集まり、各地のNPOがやってますんで役所の掲示板とかチェックしてください。人と会話するだけなら結構場はあります
―――社外で人間関係を構築するメリット
社会人30年目。1度だけ転職した54歳の方が、「この歳になっても会社員楽しんでるよ。でも、仕事してる暇ないぐらい趣味に忙しい!若い人たちに言いたいのはひとつだけ。”社外の友達をたくさん作れ!”社内の人は辞めると関係途絶えるけど、社外の人は一生続く。」って言っててめっちゃ説得力あった。
— れいちぇる@奈良 (@Rache1_1) 2019年7月3日
インターネット
こういうの、普通にやりそうだから怖いんだよな
— デモデ (@demode_old) 2024年1月16日
https://t.co/dRf9Vg5YaT
―――インターネットの距離感が心地よい
フォロワーと滅多にリプライも交わさないけれど、飲みに行った帰りにラーメン食べたり、新しいネイル見せてくれたり、子供さんが産まれて成長過程をひっそり見せてくれたり、季節の花を花瓶にさしたりするのを見るのが好きだ。フォロワーが生活する様が好きだ。踏ん張れTwitter。生き残れTwitter。
— 柔らか仕上げのフクダウニー (@0rororeo) 2022年11月6日
ネットの人間関係で十分です。
十分というか、完璧です。好きなときに繋がれるし、好きなときに離脱できる。SNSってやつぁ素晴らしいものです。薄っぺらい関係かもしれませんが、ストレスを最小化して楽しみを最大化しようとするシステムは「人付き合いってちょっとめんどくせえ!」と考える人間には絶好のぬるま湯です。
子供の頃からそういう節はあって、親友と呼べる間柄でも「今ほっといてほしい」ってときは、呼ばれても自分の世界に引きこもってました。親友がデカい手術を受けるらしく「手術前にちょっと会えないか?」と誘われても、渋って渋って渋りまくって「……ホントに行かなきゃダメ?」と返事したぐらいです(最終的には見舞いしましたが)。なんつーか薄情です。行けば楽しいのはわかってるんですが、それまでの腰が重たい。
その点、SNSは落ち込んでる人がいてもスルーしたい時はできるし、励ましたいならキーボードカタカタさせるだけで済みますから。マジ手軽で気軽です。なんだか自分が嫌な奴に思えてきましたが、「好きな人の嫌な部分を受け入れない」点に関しては全くその通りなのでぐうの音も出ません。
嫌な部分を受け流す感じです。確かに君にはそういう面もあるけど重要じゃないよね、みたな。それより楽しいことしようぜみたいな。これは「君」を「俺」に変更しても自分の考えは変わらないので、ネガティブなことを考えるのが得意ではないのかもしれません。
SNSのお陰で自己完結が進みます。日常生活においてほとんど他者を必要としていないので、ふわっとした繋がりがあれば十分楽しく生活できます。
twitterで適当なことつぶやいて、instagramで面白い写真を共有して、tumblrでコンテンツをひたすらリブログしてれば1日の満足度はかなり高いです。「良い&面白いものを作ったり探したりしよう!」という気にさせてくれます。実際には孤独なはずなのに、かなり楽しいです。
そういう気にさせてくれるサービスが豊富になってきたので、ガッツリ付き合う友人を必要としなくなってきました。ただでさえ友人が少ないのにこれで良いのか?と不安になりますが、それ以上にインターネットドラッグが楽しいです。
出典:http://ibibi-lifeisabitch.blogspot.com/2013/08/201331.html
―――今夜真実の街角で
人っていっぱいいるじゃないですか。僕も学校を休んで、クラスの子と会わなくなったけど、インターネットでいろんな人と出会えて、いろんな話ができるようになりました。居場所はどこにでもある。もっと、自分のことを大切にしてもいいんじゃないかな。
昔 友人関係で悩んでた時に母に言われた。「何でもかんでも周りのせいにしてるけどそういうの自分が引き寄せてるのよ。うんこにはハエしかたからない。悔しかったら蝶の集まる花になりなさい。」目が覚めた。
— けいとのパンツ (@katerin_411) 2013年3月5日
―――ネットで事前に繋がっている者たち
当方、大学の入学式の時点で既にTwitterなどで呼び合わせてLINEグループを作り、交流している人たちを見かけたことがある。それが若者のスタンダードというわけではないが、結局ネットでの出会いはいつでもどこでもできてしまう。本質は、自分がそのテリトリーと合うか、価値観が似ているかなどである。また知人は高校時代のゲーム繋がりでオンライン上での遠距離恋愛をしている。
同僚の子供が4月から高校だというので、その話をしていたら、いやぁ最近の子供にはついてけないなぁとか言い出した。
なんで? とか聞いたら、いきなり入学式の後から友達同士で遊びに行くんだよ、とか言い出す。いきなり友達を作れるのか、すげぇな、とか言ったら、そこじゃないと返された。
入学が決まった時点(ってことはまだ中学生のときってことだな)で、ミクシィで同じ学校に入学する子を探して連絡を取り合っていたらしくて、いきな り入学式がオフ会なんだよ。
なるほどなぁ、枯れた(というかそれほど新しくないというか)技術をうまく使っているんだなぁと思ったが、そういえば、こっちの子供も teacup(一体、いつの時代だ)を使ってチャットしたりしてるな、と思い出した。
たぶん、最初に始めた子の親が、自分達が使ったツールを教えて、その子が回りに勧めるという順に使われるのかも知れない。
入学が決まった時点(ってことはまだ中学生のときってことだな)で、ミクシィで同じ学校に入学する子を探して連絡を取り合っていたらしくて、いきなり入学式がオフ会なんだよ。
―――ネット上の交流サイト・サービス
なんて素晴らしいコマでしょう pic.twitter.com/4LbKeJkCpf
— テント😻ドラえもん&Fキャラ大好きYoutuber (@LadybugTento) 2024年2月7日
●ジモティー
マルチや宗教の勧誘も多いが、純粋にここで軽く会話したり、友達を作ったりできる。ただあまり長続きはしない場合が多い。ただいろんなサークルが出ていたりするのでそこを発端に休日はサークル活動をしているという人もいる。交流を広げるには丁度良い。
ジモティーで映画鑑賞友達募集してたら、70歳のお婆さんから募集が来て、来週末トップガン観に行くことになった。
— わち (@ed_myson) 2022年6月12日
●つなげーと
ジモティーに似ているが、こちらはサークル単位で募集している。ジモティがAmazonならこちらは楽天のようなサイトで、デザイン等は凝っているが前者より手軽に使える感じはしない。また、イベントが発足しないでメンバーだけ集まっていることも多い。
●スポーツやろうよ!
サイトもシンプルで使いやすく、タイトルにスポーツとあるがスポーツ以外のイベント(映画や食事など)も含んでいる。この中では一番内容的にはわかりやすい。
●ノミトモ
飲み友を作るためのサイトで、各々が募集している投稿に応募することで参加することが出来る。
●ChatPad
開いた瞬間に誰かしらとチャットすることが出来る。簡単に繋がれて簡単に終わらせることができる。気軽にできるが場所を離れる場合はまた同じ人と会話の続きを行うことはできない。その時間限りの関係。
最近はよりによってチャットパッドなんかをやっている男にど正論で殺されるなどの出来事がありました! pic.twitter.com/JDDRRSdHr5
— ロリナミレイ 仮称 (@poyaloli) 2022年3月27日
―――タダ飯おじさん対策
タダ飯おじさん対策でここまで仕込んだ、という話。
— wakatono, Ph.D.(JK) (@wakatono) 2023年12月26日
幸か不幸か、こちらには来ませんでしたが。https://t.co/3NHkph1uXX
孤独
— 宮崎夏次系情報 (@natsujikeinfo) 2023年10月6日
【悲報】 ぼっち、どんどん脳が萎縮してバカになる。 pic.twitter.com/qyyoi9aS1K
— お侍さん (@ZanEngineer) 2023年12月28日
友人が少ない人は「職場でたくさんの人に会っている」という感覚が強く、プライベートで「1人の喜び」を回収しようとします。「休日も人に会ってたら疲れる」という思考回路があるのでソロ活になります。私です。
— ぱやぱやくん (@paya_paya_kun) 2023年12月22日
人付き合いが苦手な人に対しては、「人ともっと積極的に交流しろ」というより、「人と極力と係わらないでも、ちゃんとメシを食えて生活できる方法を模索しろ」と言う方が方向性としては正しいような気がする。
— lakehill (@lakehill) 2010年8月7日
孤独が怖くなくなった時から、お前の人生はお前の物になりだす。本当の友達や大切な人は何年連絡をとってなくても、お前に対する態度は変わらない。
一人でいる孤独感はもしかしたら、素直に楽しめる友達が欲しい、恋人が欲しいといった単純なものではなく、一人でいると純粋に出来ることの幅の狭まりを感じ、趣が感じられないということじゃないだろうか。
誰かといても気疲れして、楽しむと言うより誰かとただ時を共にしただけであって、他の人が感じているような楽しさ、幸福感を感じられないという自分自身に対して無力さが感じられるのだろう。故に1人の方が楽であると思うものの、何も変わらず同じ地点をウロウロしているような人生そのものに虚しさを感じる。これが孤独なんだろう。
―――孤独は人間関係ではなく経済的な豊かさに基づくというデータ
詳細はリンク先記事を読んで欲しいが、孤独が辛いと感じる理由は経済的な豊かさである。貧乏でも毎日のように飲みに行って人と関わっているうちはまだ孤独感は少ないだろうが、急に独りになって貧乏を実感すると急激に高まるのが孤独感だ。金がなければ交流もできないし、そのような場へ足を運ばせる手段も減ってしまう。そこで資金を得るためにアルバイトをする自身へのみじめさがより孤独感を強固なものにしてしまうのだろう。ある意味、残酷ながら経済的な安定は圧倒的な強さなのだ。
金さえあれば友人との交流にも困らないし、友人いなくても一人遊びに興じれるからなあ
よくマルチの人間から、自分で何とかする力を持つ事が重要で、いざとなったときに助けてくれるのは自分だと聞かされた。ただ実際自分で何でもできるようになっても、他人との関わり方は実際に社会参画していかないと得られない。自分の度量に重きを置けばいざ孤独になった際には強いだろうが、人はいつでも繋がっているものなので他社を排除することはできない。それこそ自分が社会から外されてしまうだけだ。
定期的に声に出して読みたい。 pic.twitter.com/kA1LGGQFhL
— 男性会社員Aさん@婚活垢 (@konkatsu3210) 2021年12月30日
以上。