Patchwork Dream

随時、記事の加筆・修正または再掲載します。

失敗のすゝめ

前職の課長も、皆若い頃に失敗をしまくった人たちであり、その経験をもってしてか自信に満ち溢れ、知識も豊富であった。

成功には無い再現性・普遍性が失敗にはある。故に成功談よりも失敗談の方が有益性が高く、自身の参考になる確率は高いだろう。

・仏教では、なんらかの刺激を受け、それに対する痛みや反応が生じるのを「一の矢」と呼ぶらしい。これはいたしかたがない。どんなに修行しても、痛いものは痛い、悲しいものは悲しいと言う。失敗したら、後悔もするだろう。ところが、修行していないと「二の矢」にやられてしまう。二の矢は、そのことをいつまでも思い悩み、自分を責め、自信を失い、不安を増大させる。 ・仏教では、「一の矢は、避けられない。しかし二の矢は、叩き落とさねばならぬ」と教えられるという。

マーク・トウェインの有名な言葉に「歴史は繰り返さないが、韻を踏む」というものがあります。

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―――失敗は成功の基

失敗をした際の慰みに用いる言葉ではあるが、実際トップに立つような人物やスタートアップ時にいる重役の方の話を聞くとわんさか失敗談が出てくるので、そういった失敗の上に自分が形成されていることに気が付く。

―――失敗して安心する

 

Discipline

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―――恥の下には向上心

失敗を恐れて手を出さないよりも、恥を捨てて自身の成長のために一役買った方が良い。最初の早い段階で失敗を踏むことが後の成長につながるので、失敗しても自身の自負心と向上心は捨ててはならない。

―――運も実力のうち「エベレストの凍死体はすべて、かつては高いモチベーションを持った人間だった」

エベレストへの登頂は、長く、苦しく、お金がかかり、困難で、非常に危険な作業です。頂上に登るためには、極めて高いモチベーションが必要です。ガッツがあること。そして、資源、勇気、その他の必要な前提条件をすべて備えていなければなりません。

単にやる気があるだけでは成功しません。物事はうまくいかないこともあるし、自分のせいでなくてもうまくいかないこともあります。標高8000m以上の場所は、いわゆる「デスゾーン」です。そこでは空気が非常に薄く、人間の生命を維持するのに十分な酸素がありません。頂上まで登って帰ってくるには、ちょうど1日ほど時間があります。そこで予期せぬ嵐や低気圧、吹雪に見舞われれば、命を落とすことになります。事故については言うまでもありません。頂上に登っただけではダメなのです。その日のうちにキャンプに戻ってこなければならないのです。

野心が命取りになるかもしれません。確かに、エベレストに登頂した人たちは、やる気と野心にあふれていました。しかし、彼らには運もあります。運に恵まれなかった人は、死んでしまったのです。

やる気があって運のいい人はエベレストの頂上に登ります。やる気のある人と運のない人は、エベレストの斜面で死体となってしまいます。

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―――急がば回れ

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難しいのが、仕事の上ではよく「5分考えてわからなかったら人に訊け」と言われ「考えることより先に手を動かして」と、やっているうちに頭の中で結びつくという旨を言われることだ。ただこれらは厳密には、自身でやって何時間もかけることも先に訊いてヒントや回答を得て数分で答えにたどり着けることがあるからだ。煮詰まって分詰まりになるよりはその方が効率的で良い。また考えるより先に手を動かせと言うのは、人から聞いた説明で府に落ちなくても、作業の一連の流れを通じてそのロジックがわかるようになってくるということだ。というわけで、何でも人に訊くのは考えを放棄してしまっていて理解に結び付かないが、考えたところで知識や技術的な観点でどうにもならないことを人から教わったりすることで正解にたどり着く橋を渡してもらうことで遠回りで悪路を歩むよりは安全で手っ取り早い道を進めるというわけだ。少し人に訊く手間や自身で調べる手間を省く前にそれらが丁度良く落ち合う点まで調合して話を進めることが大切なのだ。

―――失敗もバレないうちは失敗ではない

―――知識は脳の回転を速める

考えるよりも先に動かないといけない場面も多々あるが、その際に頭の中におおざっぱでも全体の概略・仕組みが頭に入っている必要がある。世の中誰かを踏み台にして階段を上っていく人が多く、そういった人が成長して偉くなる。何か偉い立場になって世の中を変えたいと願うならば、蜘蛛の巣を掴む罪人が如く醜く争わなければいけない局面も多い。

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気を付けた方が良い行動

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  • 慢心
    自分が得意なジャンルだとか意外と上手く行きそうと思っていることこそ気が抜けて危うい。なんでも出来るという妄想は思考の中だけでは力を持たない。なにもここまでっていう考えが大事。逆に不安なものでも内容等下調べがしっかりしていれば可能な範囲での不安要素を減らし上手くいくことがある。

  • 寂しさを金で解決しない

    金と時間、心に余裕があるときでないと飯は美味しくない。というより、それらの余裕の無さから憂さ晴らしで食うような外食なんか、周囲の情報が頭に入ってきて集中できないし、手間の多さからかえって余裕が無くなる。金も時間も心もさらに荒む。

    何事も余裕が無ければ、冷静に考えられず、その場しのぎの救いを求めて動いてしまい、行動が自分にとって正しいかどうかの判断ができない。結果、悪化してしまう。

  • 予定組み、スケジュール調整は厳密に
    機会損失にもなるし信用棄損にもなる。スケジュール組によって起こり得たイベントを逃してしまうことは少なくない。
  • 独りでいることに満足するな

    昔「俺の若い頃に似ている」と部長に言われたことがあった。全然似ても似つかないなと思ったが、その人も昔は消極的だったようだ。

    その人の若手時代は仕事をただ熟すだけで、人とは最低限のコミュニケーションだけだったそうだ。転機は海外派遣で、仕事をするにも言語がまず通じない環境だし、意思疎通を図らないと仕事が進まないという状況に陥った際に、現地の日本人やらにとにかく話しまくってから人が変わったそうだ。

    怒りで終わるなら悲しみで終わるよりかは楽。

内省

―――初心忘るべからず

初心なんてすぐに忘れてしまうので、HDDにバックアップを取っておきたいものだ。
そんな「初心」と書いてあるフォルダから復元させたデータから、今でも「ホントにそう」と思うものを書き連ねる。

  1. 自信・自負心
    確か松任谷正隆が言ってた「何も知らないことが強み」になることもあるだろう。決断力を持ち、やると決めたらやる。わからなかったら訊く。まず自分が自然に動けることが大事。自信を持って動くことは失礼ではないので、ちゃんと丁寧に礼儀を持って動く。ダメだったら怒られて治していけばよい。
    これについて補足すると、自分の軸を持つことが大事だということ。他人から相反することを言われたとしても、その2つに対応することは出来ない。その場合、選択肢としては2択ではなく、自分の考えを含めた3択あると思ってもいいことにしている。他人からの影響がすべて良いものとは思わない。これで上手くいってるんだと思うなら自分を突き通すべき。
    僕は若いとき、天才と言われる人を目の当たりにして「自分は天才じゃない」と思ったんです。そういう人たちの本質には、自分自身を信じる部分や当たり前のように新しいことを始める姿勢があります。そこから「自分を信じることが大事なんだ」と気づきました。だからこそ、学生たちに言うのは、関心のあることとか、気になってしょうがないこととか、理由はわからないが惹かれるもの、ワクワクすること、ほのかに触れた感触を大事にし、「自分が天才だからそこに気がついた」と思うようにしろと言っています。その感覚がとても大事なことなんです。

    bijutsutecho.com

  2. 考えすぎない、完璧主義からの脱却
    ともかくこの世は考えてもキリのない野暮なことばかり。考えたところで芳しい結果は得られず、余計に足を引っ張られる。自分の中で軸がしっかりしていれば、独善的だが間違ったとしても改善出来る。良かれと思って、相手を思ってが何にでも通用するなら少しは良いのかもしれないが、そんな明確に芳しい結果とならないものならやはり、明確に自分に正しく生きるべきだと思う。他意はない。ただ間違いを正し、自分が安定するまでずっどブラッシュアップしていくべきだ。
  3. 目標やなりたい将来の姿をイメージしながら生きる
    これはモチベーションを保つためでもあるが、いろんなアーティストやら作家、またその作品から刺激を受けて糧にしていくべき。実現可能かはともかく、そういった原動力は大事だし、苫米地英人が言ってた「既に自分がそうなってる体で生きてくことでそれに近づいていく」みたいなものがあると思う。

本当に気をつけた方が良いのは、現状に問題があってもそれに慣れてしまって変える気力がない状態。間違ったものを日々正して軌道修正かけていくことが大事。自分を理解して貰うのも時間の問題もある。1秒であれど、やはり正しい、自分が持てる本来の力で生きていきたいものだし、そう理解して欲しい。

―――追い込まれないと出来ない

追い込まれないとやらない以前に気づかない場合あるから必要なことは計画的にやるべき。行動を起こすとき、目的がすべて出揃ってるか、またそれが本当にすべきか、遠くを見過ぎずに直近に行うべきことを確かめた上でクリアしていく。どう手をつければ良いかわからず行き詰まっているタスクは、一度手をつけてみると結構進む。結局、小学生時代の夏休みの宿題の時から今までこれは変わらない。

■周囲に向けた俯瞰

―――楽しいではなく愉しい見方

世の中には、おもしろいことがいっぱい転がってますよ。近鉄ファンになったので、電車で大阪ドーム行くと、乗客を見るだけで、おもしろい。あの人は、どんな人生送ってきたんかなあなんて想像すると、小説読むようやないですか。若い子が床にペタンと座ってても、怒るのやなしに、この子はどうしてこうなったんやろ、と考えてたのしむ。  思いどおりにならんことほど、おもしろいんです。「楽しむ」という字と「愉しむ」というのとあるでしょう。楽することを、たのしいことやと思うからいかんのですよ。すべてを愉しむ。苦しい、しんどい、不便、そういうことを選んでやると愉しなります。

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―――人を信じろ 自分を過信するな

人が本当に信じられるか信じられないかは問題じゃない。その人に裏があろうが心の片隅にバックデータとして保持し、その上で相手を信じて認めた上で接していくのだ。そうでないと行き着くのは人間不信やそれに基づいた孤独であり、信用できなくなればすがる人もいなくなってしまう。

誰かに嫌われるかもしれないという恐れは間違いだ。
そもそもの話、語弊があるかもしれないが、極端に言って自分は嫌われていないという前提で人と接するのは傲慢だ。絶対誰かには必ず嫌われるもので嫌われない努力程不毛なものはない。結局そんな自分も他人に認められてそこにいる存在。互いに認め合うべきで、争うべきでない敵であり、協力者あるいはパートナーである。

何かおかしいと感じたら自分をまず疑うのだ。
人を信じろと言うのは、いいように扱われろという意味ではない。
自分を過信するなとは、自分を卑下するわけではない。
人に心を開いて動けるように等身大の自分に自信を持てということであり、それは何かスキルを持っている自分ではなく、そのままの自分を自分で認めて受け入れろということだ。自己肯定感だ。

ただ結局は信じられるのは自分だけである。

―――人は見た目9割以上

何を言うかより誰が言うかは、人は見た目9割に基づく。同じ胃薬が2つの茶瓶に入れられていて、片方はノンブランドのラベル、もう片方は大正製薬のラベルが貼られていたら、多くの人は後者を選ぶだろう。たとえ大正製薬のラベルの茶瓶に劇薬が入っていたとしても、判断材料が見た目しかない故、答えは変わらない。中身の正当性が未知数である故に、外的要素(容姿・声や話し方・挙動)を判断材料として判断せざるを得ないのだ。

―――答えは保留しておく、効率化を求め過ぎて荒廃する現代で

■自己に向けた俯瞰

毒にも薬にもならないようでは、雑草の如く踏みにじられるだけ。
踏まれた雑草は成長は遅まり、生えなるなるようだ。あるテレビ番組で田舎の古民家で自給自足する一家では雑草駆除のため、ある程度雑草を毟った土の上をイノシシを何頭も走らせることで実際に砂漠のようにその一帯だけ雑草が茂っていない様子が映されていた。
毒や薬になるものは慎重に扱われ、医学や食用に向けて研究が行われたり試行錯誤されるものだが、毒にも薬にもならないものは見向きもされず、気づかれぬ間に踏み潰されている。
昔、トマトは派手な見た目から、毒性のある植物として、あくまで観葉植物の一種として育てられていた。ある時、空腹に駆られた男が火を通せば食べられるのではないかと思い付き、トマトを食べたようだ。結果、トマトは美味で、今まで旨み成分の最も高い野菜として重宝される、サラダではトリを飾るような植物になっている。健康にも良い薬だったのだ。
人間も同じで、毒にも薬にもならないを文字って、毒にも薬にもなる人間になれと激励する言葉さえある。結局、人間関係に苛まれていても、それは周りも同じで、環境に適応するために自分を演じている部分があり、人類皆人生という舞台を生きる役者なのだ。そのため、皮肉にも相手を理解しようとすると、相手の葛藤もわかり、相手と上手く渡り合えないその壁一枚さえ、相手を相手たらしめるアイデンティティに過ぎない。そうして壁の前で絶望したところで何も変わらない。
皆、本音、本性を隠して演じている。相手が分からないというのはお互い様なのだ。だから演じる。自分の役が上手く板に付いている人は良い。どんな人もどこかで悪く言われる。それでも演じられている人は、その人の居場所、自分の取り扱いがよくわかっている人。孤独が人をダメにすると言うが、自分が自分を認められない状態こそがその真理なのだ。
何事も、燻って篭っていても延命措置にしかならない。何が作用するか分からないが、初めてウニやナマコを食べようとした人。キノコや山菜を食べようとした人。そういう人がいたからこそ、美味しい料理や栄養素に溢れ、食文化が発展した。もちろん医学もだ。
何かを改善しよう、治そうとするならば、もがいて、動き、壁にぶつからなくてはならない。そうした中でぶつかった壁、ふとした発見や経験、影響がヒントになって答えになる。人生で転機を迎える時、すべてはそれが真理である。
すべては点。線に見えるものも点の集合に過ぎない。
現実の答え合わせをインターネットでできるようになった昨今、フェイクも混じりつつもそれを見抜ける知見もまたどこかで知り得た情報だ。
この点を紡ぐ線、次の点までの間にある点。何年かかっても、大切なことは思い出し蘇り、何かの転機となる時まで見つからない。

―――自負心を備え持つ

プライドはどんな人間でも持っているし、謙虚さの裏には志高きプライドを掲げているもの。
プライドは自身のポリシー、価値観や考え方、ひいては性格にも影響を及ぼし、その根源は自我でありアイデンティティである。

人から何かをされ、言われた際に出る反論は自身のこだわりや信念を守るための防衛機制であり、ロジカルな原動力によって自我を守るために行われる。一方で、自分が誤った立場であった場合においても同じように反論してしまうケースもある。ただこれも防衛機制としては正しい。プライドの根源は自我である故、自分が間違っていたとしてもそれを認めることで損なわれる自信や自信を否定されることによるアイデンティティの喪失などに反応して起こる一種のアレルギーのようなもの。一般的に知られるアレルギー症状である花粉症でさえ、すべての人がそうでは無いことから、アレルギー反応自体がバグのようなもので誤りである。ただ、自信に害があると認めた分子を体外へ排出しようとする働きは防衛機制として正しいと言える。

ネガティブであることを良くないことのように語られる場合があるが、ネガティブとはスマホのポップアップ・バナー警告のようなものである。たとえば充電が残り15%ですや、午後から降水確率80%ですのように、悪いニュースではあるが、有用性があり、これを受けて急いで充電したり、洗濯物を取り込むなどして事なきを得るのである。つまり必要で有益な情報と言える。ネガティブな感情や思想はそう言った不安を脳内にポップアップ表示する機能であり、その内から有用な情報をピックアップして事前に備えておくのである。なので一概に悪いものとしてすべて消してしまうと、後から気づいたり不安が現実になって結局後悔するケースが少なくないのはご承知の通りだろう。

それと同様、よくプライドが高いというのをネガティブに捉える傾向があるように思うが、これは悪いことでは無い。逆に人から諭されて正したとしてもそれを正当に評価する人や基準、また上手くいかなかったとしてそのケツを持ってくれる人はいない。すべてにおいて自分で人生に責任を持つ以上、自身の軸を乱すこと、自我喪失して他人の言いなりで何も考えずただその通りに動くことは、自分で描いてきた地図を捨てて人から借りた地図を手にすることで人生で路頭に迷うことと同等である。

口で勝たない。目で負けない。

diamond.jp

―――ネガティブさから来る不安は警告のバナー

ネガティブであることを良くないことのように語られる場合があるが、ネガティブとはスマホのポップアップ・バナー警告のようなものである。たとえば充電が残り15%ですや、午後から降水確率80%ですのように、悪いニュースではあるが、有用性があり、これを受けて急いで充電したり、洗濯物を取り込むなどして事なきを得るのである。つまり必要で有益な情報と言える。ネガティブな感情や思想はそう言った不安を脳内にポップアップ表示する機能であり、その内から有用な情報をピックアップして事前に備えておくのである。なので一概に悪いものとしてすべて消してしまうと、後から気づいたり不安が現実になって結局後悔するケースが少なくないのはご承知の通りだろう。

それと同様、よくプライドが高いというのをネガティブに捉える傾向があるように思うが、これは悪いことでは無い。逆に人から諭されて正したとしてもそれを正当に評価する人や基準、また上手くいかなかったとしてそのケツを持ってくれる人はいない。すべてにおいて自分で人生に責任を持つ以上、自身の軸を乱すこと、自我喪失して他人の言いなりで何も考えずただその通りに動くことは、自分で描いてきた地図を捨てて人から借りた地図を手にすることで人生で路頭に迷うことと同等である。

―――思い立ったが吉日

―――誰が何と言おうとも守りべき自分の自己像

自分に対して(おそらく何年も前に)下した結論が、自分の考え方や感じ方や行動に長いこと影響を与えてきたのだとわかってくるでしょう

誰かの意見を聞いて自分の軸をブレさせたりするのではなく、自分の考えを貫いて生きていった方が良い結果を最終的にもたらすことが多いように思える。自他共に幸せになるためにはこれしかない。これは平沢進が配信で述べていたことだ。確かに、周囲と自身の考えの相違から不和を感じ取り、言動を改善しようとすることはあるが、その結果自身の進退を悪くさせるようなものであれば妥協はしない方が良いし、そこで相手に合わせたところで相手がこちらにとって良い風になびかなければ、意味なく自分自身で自身をやりづらい立場に追い詰めただけである。その間、相手はそんなことはつゆ知らず平気な顔をしている。

結局のところ、身の回りの上手くいっている人は、立ち回りや自身のキャラクター確率が上手いのであって、別に周囲に対して自身を合わせに行っている訳ではない。人から何と言われようとその方が成長する、その一心で生きてきたという方がいるが、その人は独立開業手続きを進めて今や社長になっている。

かつてニッポン放送の「ラジオ・チャリティ・ミュージックソン」にスティービー・ワンダースペシャルゲストとして出演が決定。ところが、出演時間の30分、1時間を過ぎても現場に来ず、到着したのは2時間後だったという。

 この時は目の不自由な子どもたちと合唱をする企画だったため、子どもたちがスタンバイしていたことから、和田がその子たちの帰りが遅くなることを気にかけ、遅刻したスティービー・ワンダーに「too late(遅すぎる)」と直接、説教をした。

 和田はこの事件を振り返り「“子供たちは、これこれこう”ってカタコトの英語で言って“子ども達に謝ってあげて。あなたと同じ環境だけど、ずっと待ってた”って」とスティービー・ワンダーに事情を説明したという。すると、スティービー・ワンダーから「soを付けて“so sorry”と言ってくれた」と謝罪があったといい「それで“OK、understand”って」と和解。最後は皆で合唱したと明かした。

 和田は「レコード会社の人にも“外国から偉い人が来るからって子どもを待たせるのはよくない”って言った」と関係者にも注意したといい「スティービー・ワンダー自身も趣旨を知ってるはずなんだから、あなたたちも連絡を取って渋滞とかそんな時間じゃないし、スケジュール決まってるわけだし、あなたたちも言うべきですよ」と言ったもののレコード会社の関係者もスティービー・ワンダーが相手とあり何も言えなかったそうで「だから、私が直接言った」と当時を回想。

www.sponichi.co.jp

―――何度でも新しく生まれる

出所して10日目に初めての仕事が決まりました。ボトムアップから始めます。(翻訳)

KY(危険予知)

工場や工事現場では朝礼での点呼・作業確認後、各工事業者ごとにKYシートというものを書かされ、元請けになるゼネコン業者の事務所に提出しに行く流れがある。

anzeninfo.mhlw.go.jp

―――取り返しのつかないことをしないように

慣れた行動程何とかなると思って手を抜いてしまったり、それ故に不意に隙を突かれてどうにもならない状況に追い込まれることがある。自分の機嫌や状態が良いことに面倒ごとを片付けておき、それによって自分が弱まっている時に助けて貰えるように日々動いていかなくてはいけない。

立て直し

下記は26歳で上京後、適応障害で休職、そして37歳から無職となった人の略歴である。
リゾートバイトは当方、大学生の時に行ったことがあるが、見知らぬ人がいる環境は働きやすく、かつ年齢層もまちまちである程度年配でもそこまでスキルを求められることは無い印象。ただ、ノリは若めなので、小綺麗でノリの良いオジサンでないと厳しいかもしれない(個人的な印象)。
ただ、動画編集のバイトとあるが、そこから発展して現在はフリーで働けるようなIT系のスキルを磨く模様だ。リゾバ中心の生活を考えるとノマドは避けられない、故にたどり着いた考えだろう。

26~34歳:カフェに勤務。店長となり正社員に昇格。適応障害を発症したため退職
34~37歳:宮古島でのリゾートバイトや友人から請け負った動画編集のバイトで食いつなぐ
37歳~現在:無職。日光でのリゾートバイトと7月からは友人がカフェを開業するので手伝う予定。カフェの仕事とWebデザインやSNS運用などのノマドワーカーの勉強を並行していくつもり

nikkan-spa.jp

―――スキームの見直し・組み立て

日々の習慣として、失敗を無くすためにどういった点が課題として挙げられるか、またどう工夫すればそれを防げるかのフローを組み立てることが必要だ。

簡略化したスキーム

―――ケアレスミスを減らすには

―――無駄の中に意義がある

現実主義

下記はスタートアップ事業で失敗し、ボロボロになってしまった方の記事だ。「事業をなんとかする、人に喜んでもらうものを作る、それだけでは投資に値する事業は作れないと実感した。」と言う文が切ない。どんなに理不尽な目に遭っても救われない経営者は労働者よりも立場が弱いかもしれないという旨があり、融資を受ける立場から、株主やVC(ファンド)に罵倒され、重要人物(相談役・右腕的存在か?)に裏切られ、といったこれ以上ない精神的苦痛を受けている。

anond.hatelabo.jp

無考のすすめ

あれだけ思考に人生を費やしたような哲学者たちが誰も思案せそうに見えないのがすべて。
真実を知ろう、答えを導き出そうとしても、それをするには時間が足らず、どこまで掘れば良いのか、どこを掘れば良いのかもわかっていない。海に1滴落とした黒インクを掬えと言われても不可能だろう。答えにたどり着こうとするよりも、自分の中で納得出来る答えを作っておいて、それに基づいて問題を解いていく方が望ましい。
難しいのは、考えるからこそ会話が生まれるのであって、考えて悩むからこそ、そこに様々なバラエティが生まれるのだ。
そもそも完全に無心になることは不可能に近い。瞑想を持ってしても完全に無になることは出来ない。なので、文字に表すと何も考えないとなるが、厳密には深く考えたところで答えが定まらない不毛な議題は無視し、その代わりに考えを要してある程度落ち着く地点に辿り着く事柄に関してのみ考えられるような思考にしようという旨だ。

インプットが多すぎて、自分が何をやっていいのか分からないという面が今の時代にはあるように思います。僕は自分で音楽を作る時は極力インプットを減らすようにしています。インプットしているとアウトプットできなくなるので。

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―――世の中は信頼によって成り立っている

―――知りすぎた悲しみ

一旦知ってしまえば、知らなかった時には戻れない。本にせよ、スーツにせよ、シガーにせよ、酒にせよ、別に知らなくても生きてはいける。でも知ってしまえば、それなしの人生など耐え難くなる。

 つまり知識や経験は人生に悲しみももたらす。より多くを、より良きものを、よりスリリングなことを知ってしまったがために、当たり前の日常に感動できなくなる。それでも、知らない平穏よりも知る悲しみのある人生の方が高級だと開高さんは言っていた。全く同感だよ。

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以上。